ダンパートナーズは、社会にとっての存在価値を企業や個人に問い続けながら、時代に合った経営情報や中小企業・個人の持つ良質な経営資源の活かし方を提案しています。

ヒストリー

考えてみればコンサルティングとは何だろうということを常に意識していたように思う。いや意識していたというより、無意識のなかにあるフワフワ漂う意識の根源、無意識の意識はあったのではないだろうか。税理士とは社会にとって何のために存在しているのかを自問自答していた時期があったのも事実である。

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1976年3月、高円寺の四畳半の下宿がダンコンサルティンググループのスタートであった。住まいと事務所の違いは、電話を開設したというだけである。間もなく、金融機関より資金を調達して高円寺駅前のビルに移転した。借入金は300万円。その資金で保証金80万円の事務所を賃借し、150万円の財務コンピューターを導入、残りを運転資金とした。もちろん、手持ち資金はゼロのうえ、顧客企業もゼロという何とも不安定なスタートといえた。税理士という肩書の信用度の高さにビックリしてしまったのはこの時だ。何ら財産も名前もない人間が、無担保で300万円を借りることができたという事実が生じたことに対してである。

アンケート調査をやったのもこの時期である。「会計事務所はどんなことをやっているところですか?」というキャッチコピーをつくり、その下に約70項目のテーマを箇条書きでまとめ、高円寺駅前で通り行く人々に指で示してもらうというやり方だ。たとえば、「帳簿をつくってくれる」とか、「税務署に出す書類を作成してくれる」とか、「経営の相談に応じてくれる」とか、「個人の節税を徹底してくれる」といったようなテーマである。なぜこんなことを行ったかというと、自分がこれから始めようとする仕事と、世間の人達が思い描いている仕事にギャップがあったのでは努力がなかなか実らないのではないかと想像したからだ。つまり、中小企業の経営に対する「より密接な外部ブレーン」として、いかに経営の継続を図ることのコンサルティングができるかという業務を行っていこうとすると、「会計事務所」というネーミングでは、顧客との間に意識のずれが生じてしまうと考えたのである。税法にも強い中小企業型経営・財産コンサルティングといった業務を遂行していくにあたって、アンケート調査の結果からは、会計事務所という名称では、ダンの売り物が見えなくなってしまうというわけだ。

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同時に始めたことがある。新しい通りや商店街の移動定点観測と自称していた行動である。原宿から竹下通り、明治通り、青山通りをグネグネと定期的に歩きながら、いろいろな売れ筋を探すという作業だ。1976年から約3年間、毎月1~2度は同じ繰り返しをすることにした。学生時代に全国を歩き回り、その時に得た体験や感覚、あるいは、様々な人々との出会い、目にした風景などがモノゴトを考える立脚基盤になっていただけに喜々として青山界隈を歩き回っていた。同じ商品が店によってどのように扱われているか、それによってどう顧客は感じるか、店舗のレイアウトは来客数に変化を与えるか、ビル全体のイメージは店舗にどの程度影響するのかといったことが、親しくなった店員との会話などから見えてくるのである。経営と不動産のミスマッチをよく見かけた時期だ。

20代から30代にかけては、商法の整理や和議法の和議などの会社再建の仕事が中心になっていた。おかげで、中小企業経営に対する考え方や方法論を自分なりにまとめることができた時期であった気がする。再建会社を知るためには、単に机上で得た知識では全体像がつかめない。そこで、たとえば当初の一週間は数値チェックで問題点をピックアップし、翌週は社長、翌々週は営業マン、最後の一週間は経理や工場スタッフと行動を共にするというスケジュールを立てる。社長の考え方を知り、得意先からの情報を仕入れ、金融機関の評価を知ることなどで、何故、この会社が債務超過に至ったのか、今後再建するベースになる良質な経営資源は何かといった原型を見つけ出していくわけだ。これらは全て、常に「本質」をどのようにして知り、その解決策をどのように表現していくかの前提になっている。中小企業の経営診断や個人の財産診断も全く同じ手法である。

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ダン総合会計事務所という名称を使い出したのは10年後の1986年からである。「会計事務所」というネーミングが時代にフィットしてきたと予想できたからだ。同時に、企業や個人に対するコンサルティングやプランニング、プロデュースを行うダンコンサルティングを設立した。会計事務所の主たる業務はコンピューター化と共に、ソフト付の製造業に限定されると感じたからである。つまり、クライアントに対して、会計・税務処理業務を行うと共に、徹底した節税を図り決算書を作成する。その過程において生じる相談に応じていくというソフト付メーカーという業態だ。したがって、今後は、設備と数的人材が要求されてくる。もちろん、事務所としては生産管理や人材管理システムが必要最低条件になってくる。一つ一つのプロジェクト業務がベースになるコンサルティングやプランニングとは提供側の社内体制システムが違ってくるはずである。そこで会計事務所が成長するためには、経営と実務の分離が必要ではないかと考えたわけだ。

その後、会計事務所は93年から二代目の設楽税理士、03年からは税理士法人ダン会計事務所に組織変更すると共に須田税理士が三代目の代表を努めて顧客企業の会計税務サポーターとして成長している。そのため、ダンコンサルティング株式会社に専念して中堅・中小企業の経営戦略の立案や経営改善・会社再生の提案、事業計画・資金戦略の策定、個人の財産管理、土地の有効利用に関する調査・企画といったプロジェクト業務や定期的な経営・財産顧問を中心に仕事をいただいているのが昨今である。

「興味を持ったら、まず行動してみる。失敗しない人生よりも数多くの体験をした方が人生は面白いし、相手を理解しやすいはず」という学生時代からの考え方を54歳になっても相も変わらず踏襲している。繁栄と引き換えに、本物がどんどん失われていく奇妙な社会の中で、
人の温もり、感動、素朴、本音、こだわりなどがより大切になりだしている。それだけに、得意のフットワークとネットワークがさらに活かせるだろうと期待もしているところだ。経営の現場でも、世のためになろうという気概のある中小企業しか継続が困難になりだしているといえる。

それにしても、今まで、色々とお世話になった人が多すぎる。このお返しは、今後も自分の天職をじっくり、みっちり、きっちりやっていく以外にないだろう。これからも健康で好きな仕事を愉しく続けていきたい。

塩見 哲

20周年記念小冊子(1996年12月)より一部改訂